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「震災の後で」

3.11から、まったく休みが無いまま、
連日出勤していた夫がついに29日の祝日には休みが取れた。
そういえば、ゴールデンウィークだという事に気が付いた。

実に休みは50日ぶりだ。お疲れさま。
年齢のわりには、けっこう体力があって本当に良かったと思う妻である。(笑)

前日の朝出かける前に「震災の飲み会だ」と言うので、
そんな飲み会があるのかと思い、よくよく聞いてみたら、
「新採の飲み会だ」(新期採用の職員の歓迎会だ)という事だった。

この震災のせいで4月も末の会になってしまったようだ。
若い人達の使命感に満ちた話を聞いて昨晩は気分良く酔って帰宅して来た。

街は意外にも沢山の飲み屋さんが元気に営業しており、
人も多くて、にぎやかだったそうだ。

~~~~~~~~~~~~~

~土砂崩れの写真撮影と脱出する車と国道開通~

国道4号線の東京方面への道路が
震災で通れなくなって1ヶ月半以上たっていた。

交通量がとても多い道路で、
その先には福島市内で一番大きな団地や大学病院があるので、
近隣の人達は常に長い渋滞が続き、とても不便な思いをしていた。

最初は全面通行止めなので、少し離れて平行して走る旧国道を使っていた。
そのうち、やっと1車線が通れるようになった。
それが4月27日の夜、やっと2車線の全面開通をしたのだ。

人間の力って凄いと思った。
私の場合は、実家に通うため週に何度か必ずその道路を使う。
だから、その工事の進行状況がだんだんと少しづつ進んでいるのが通るたびにわかった。
大量の土がトラックで運ばれている様子が見えたりした。

原発が水素爆発を起こした後、
震災で高速道路は封鎖され、この国道4号線も通行止めで、
東京方面にむかう道路は旧国道1本になってしまった。

そのための渋滞は凄かった。

しかも運良くガソリンを入れられた人達が、
県外へ逃げるための車で物凄い渋滞だった時期があった。

まるで映画のようにたった1本の道に脱出する人達の車が続いていた。
そこを通らないと一般の人達は福島市から出れなかった。

私は、実家へ向う時にその渋滞に巻き込まれた。
いつもは数分で済む道が何時間もかかった。

その旧国道の渋滞の列の中から、
土砂で崩れた災害の爪あとが否応なしに見えた。

最初にその光景を見た私は涙が出た。
ショックだった。

あの家にいた人達は無事だったのだろうか?
あの家はどうやって直すのだろうか?

旧国道から見たその震災直後の崖崩れの様子はひどかった。

本当にこれからこの道が通行が出来るのかと思うほど、
国道は山側からのあふれる大量の黄土色の土砂で埋まっていた。

さらに、その斜めに崩れ落ちた土砂の間には、
まるで積み木が突き刺さったように崩壊した家があっちこっちに点在していた。

斜めになった家の割れたガラス窓からカーテンが外にハミ出て、
風がそれを勝手に揺らしていた。

どこが屋根なのか、どこが家の側面なのか、
判らないほどの形になった家もあった。

土砂に流され家の土台の角を見せるようにして、
なんとか斜めに止まったままの家もあった。

土砂崩れおこした国道と平行に走る旧国道からは、
まるで眺めて下さいといわんばかりに、その悲惨な様子がはっきりと見れた。

車を止めてわざわざ写真を撮ってる人達がいた。

その車が県外ナンバーだったりすると無償に腹が立った。
なんだか〝晒しもの〟になってるようで悔しかった。

親戚かもしれないし、関係者かもしれないけど、
惨状を誰かに伝えたかったのかもしれないけど、
出来ればそんな悲惨な様子を撮ってなど欲しく無かった。

そういうドライバーは、
数十日も復旧作業が進む中、必ず数台は見かけた。

やっとこの頃になってそんな人達をあまり見かけないようになって来た。
そして全面開通にこぎつけたのだった。

昼夜を通して作業をしてくれた作業員の人達に感謝したい。

こうして傷が治るように、道路が元の姿になるのは本当に嬉しい。
人間の底力を感じる。
だんだんと少しずつ、こうして日常が戻るのが嬉しい。
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by mismis10 | 2011-04-29 16:33 | 東日本大震災

「震災の後で」

~土の処理~

4月27日。
福島県郡山市では市独自の判断で
モニタリング後、高い環境放射線の値が出た小学校の校庭の土の入れ替えをした。

表面の土を5センチほどショベルカーで削りとる作業だ。
作業後の値は6分の1に減ったと言う。

これは子供がいる親にとっては朗報というべきだろう。
子供は自分の環境を選べないのだから。

これに対して、他の同じように高い値の出てる学校等がある市町村の親からは
なぜ自分の自治体では同じように土の入れ替え等をやらないのか
という抗議の電話が来ているという報道もあった。

現在の段階では、検討をしている自治体も多いが、
まだどうするか判断が出来ないでいる自治体もあるらしい。

それは何故かというと、
土を取り除く事は出来るのだが、
その土をどうするかが問題になるからだ。

土を運ぶ事によって2次被害が出るのではないか。
土が混ざる事によって更にその土の放射線の値が高くなるのではないか。
土をどこに運び、どう処理するのか。

郡山市が除去した土も
市が予定していた処分地への投棄がされないまま、結局、校庭の脇に山になっていた。

処分地予定の周辺の市民の了解が得られて無いのだ。

その後の説明会では
「ここにだって子供がいる」
「何の説明も無く土を持って来るのはおかしい」
「国と東電の仕事だろ」と言ってる人もいた。

みんな混乱しているのだ。
どう扱うべきなのか判らないのだ。

私がネットでみた学者の話でもこうした土の表面の除去の必要性を講じていたが、
その後の処置については具体的にどうしたら良いのか解らなかった。

放射線の被災が分かった時に、断水している私達に向って、
「手を洗いましょう。」「うがいをしましょう。」「シャワーで身体を洗い流しましょう」
「放射線が付いた服は脱いで外におきましょう。」
と繰り返しメディアがTV等で放送していた時と重なる。

計画的避難地域の飯舘村とか川俣地区の農業の人達の土は、
5センチ削るなんていう処理では済まされないだろう。
ああした農業を行う土はどうするのだろう。

原発敷地内の今なお作業の妨げになっている、
あのとんでもなく高い放射線の値が出ている水や土や瓦礫は、
いったいこれからどうするのだろう。

放射能の値は比べ物にならないが、
現在の福島第1原子力発電所の敷地内の地面の土と、校庭の土と、
その後の処理への対応はあまり変わりないような気がする。

原子力災害は、レベルの差はあっても、
いったんばら撒かれたらその後は収拾がきかないのが怖い。






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by mismis10 | 2011-04-29 00:05 | 東日本大震災

「震災の後で」

~選挙権~

4月26日。
国会中継「衆議院予算委員会中継審議」を見て聞いた。

家に居る時はTVで。
移動中は車のラジオで。
更に付き添いの病院内では待合室のTV画面で。

TV中継は、顔の表情がみれる。
ラジオ中継は、言葉の重みがわかる。

東京電力福島第1発電所の事故の時の初動の遅れ。
原子力安全委員会が機能してない実態。
災害対策会議の20近い数の多さ。
二重債務の実態。
仮設住宅の建設の遅れ。
瓦礫のアスベスト対策について。
税金を使わずにも災害復興は出来るという話。

などなど。

その他、質問され答える中で、
いろんな事が自分の考えとクロスしたり、しなかったり。

「それは違うだろ」「もっと突っ込んで」「そのとおり」などと
いちいち真面目に自分で考え答えながら聞いた。

政治には、今までそんなに興味を持たずにいたが今回ばかりは違う。
自分を取り巻く環境がかかっているから。

本当はいつだってそうするべきなんだと思った。
自分達の事が決められる事なのに今まで国の政策に関心を持たなかった。

たとえ私だけが係わったとしても、
世の中そんなに何かが変るとは思えなかった。
でも今は違う。
自分ひとりでもきちんと政治に係わらないと。そう思う。

選挙権がもらえるのは二十歳。
私は三十年以上も何をして来たのか恥ずかしい気持ちになった。

私が毎日ブログで言ってた事のわずかな一部の事でも
中央に届くまでに40日もかかるのが判った。

お盆まで、あの硬い床とダンボール生活をさせる気なのか。
今は4月。夏まであの生活をさせる気なのか。

そして、東京電力福島第一発電所の収束は先が見えないまま。




★おそいのかもしれないけど、ネットでも見れるのをさっき知った。
【衆議院TV】
①4月26日のカレンダーをクリック。
②会議名、2011年4月26日予算委員会の部分をクリック。
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by mismis10 | 2011-04-28 00:54 | 東日本大震災

行動力

震災の話ばかり書いていたら、
ヒョンビンのニュースが目に止まったので、休暇で出て来た話を書いた。

そしたら「嬉しい」ってメールが来た。
私が落ち込んでばかりいるように思ってたから、
違う話(ヒョンビン話)が出て来たので安心したというメールもいただいた。
皆さんに気を使っていただき感謝します。

で。
夕方、いきなり贈り物が届いた。
ヒョンビンがCMしているトウモロコシひげ茶のペットボトルだ。
送ってくれたのは、1月の時に同じツアーだったRちゃん。
手に入らないと諦めていただけに嬉しかった。
嫌な事ばかり続くので、ふさぐ気持ちでいたがさっそく飲んだら美味しかった。
ソウルのお店で出されるあの味がした。
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このCMのヒョンビンは可愛い風。あの海軍の彼とは全然違う。
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Rちゃんは、3月7日、ヒョンビン入隊の時にお見送りに行った人の1人だ。
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私はこの写真がとても気に入ってる。向こうのプロのカメラマンが取ったのだろう。
本人の承諾をやっと得たので、ここに貼り付けて置こう。
(Rちゃん、同じブログの中だよ。笑)
本人曰く「パボイルボンサラ丸出しな写真」だそうだ。

一緒に行く仲間達と随分前から準備をして、
メッセージを書いたものなどを持参して、気が付いてもらうために準備して、
遥か遠い浦項(ポハン)市まで行った。

韓国では多くのマスコミにも取材され新聞記事にもなった。
ヒョンビンと同じ紙面を飾れただけで十分ですとメールには書いてあったが
その事が結果的には良く思われない場合もあって大変だったらしい。

私には、そういう若い行動力が羨ましい。
今しか出来ない事をするのって大事だと思う。

除隊の時は、彼女とお迎えに行きたい気分だ。
そのくらい夢みても悪くないと思う。

その前に、新大久保探検が先だよな。
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by mismis10 | 2011-04-27 01:05 | 韓国ドラマ(HYUN-BIN関係)

「震災の後で」

~処分という命~

震災以降、毎回毎回、
もういい加減にしようと思うくらいの話題が出て来る。

明るい希望に満ちた話題をあげたいのだが、
私自身も、どうもそうした話題が目や耳に入らないのだ。

このブログを読んでいる人も嫌になるだろうなとも思う。
でもけっして後ろ向きな訳では無い。

現実に目をそむけない事が大事。
嫌でもなんでも記録して置く事が大事。
私が知った事の範囲だけれど、それを誰かが知ってくれる事が大事。
そう思っている。

国からの指示が出ないまま県が
福島第1原発から半径20キロ圏の警戒区域内で死にそうになっている牛や豚、
ニワトリなどの殺処分を4月25日から始めると発表した。

放射能汚染によるための殺処分の法律は現在は無いので、
瀕死状態の家畜は持ち主同意の上で、
獣医師が逆性せっけんを注射して殺処分にするらしい。
この方法は苦しまないのだろうか。凄く気になる。

私が聞いた地区の関係者の話では、
警戒区域内の放射能の値もさまざまで全部が高い訳では無いらしい。
死にそうになってる家畜という判断も難しいらしい。

さらに死んでいる動物というのは、報道されているほど多くないらしい。
その知人が警戒区域になる前に回っていた地区の600頭いる牛のうち死んでいたのはたった9頭だった。
動物は皆、人間を信じて助けてを待っているのかもしれない。

こうなると計画的避難区域の家畜のほうが助かる可能性が高い。

入れない警戒区域になってしまった地区は、
その指示が出る前までは、飼い主は皆必死でその家畜にえさや水をやりに行っていたらしい。
それが国の指示が出てからは裏道までが閉ざされて行く事が出来なくなった。

40日も経ってもまだ、国からのこれら家畜への正式な指示は出されていない。
こうなる前に移動手段とか取れなかったのだろうか。
時間はあったはずだ。
そんな事、考えなかったのか。
霞ヶ関には牛なんて居ないもんなぁ。これも想定外なのか。

痩せこけたまま衰弱を待って、やがて殺される。
何の罪もないのに。
なんだか、むなしくて悲しい。


この日、同意をした家畜農家はおらず、
殺処分は行われなかったというニュースが、翌朝流れていた。
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by mismis10 | 2011-04-26 10:36 | 東日本大震災

あれから

ヒョンビンが海軍に入隊してから、初めて休暇で出て来た。
僧侶のように短くなった頭と浅黒く焼けた肌と、
ますます痩せて尖った顎をみて訓練の厳しさを感じた。
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彼が入隊して訓練を受けて配属先が決るまで紆余曲折があったようだ。
いったんは海兵隊司令部募兵広報兵に隊配置されたが、その後また一般歩兵戦闘兵に変更された。
白翎島(ペクリョン島)への配置が決った。
この島は北朝鮮が攻撃した延坪島よりも北に近い島だそうだ。

3月7日、慶北浦項の海兵隊の教育訓練の施設に入所した彼は、ある意味いつも注目されて気の毒だ。
彼自身が希望していた本名キムテピョンとしての入隊希望動機を、
軍の上の方の人間が利用してた感じがする。

それは、彼が韓国で社会現象を起こすほどの影響を与える俳優であったから仕方無いのかもしれないが、
純粋に海軍を希望して国民の義務としての兵役を希望してる立場の彼を振り回しているように思う。

彼はただ普通の人と同じように軍隊生活をおくりたいと希望しているにもかかわらず、
軍の上のほうの人間がそうさせないのだろう。

また、彼の軍隊の中での訓練の様子をドキュメンタリー番組として公開されるようだが、
それも彼の本意では無いように思う。
いくら本人が希望しても常にそういう視線でしか見られない立場の彼が気の毒だ。
そっとしておいて欲しい。そう思うファンは多いはずだ。

それにしても3月7日か。

あの日から3日後あたりの3月11日に、あの震災が起きたんだ。

こうしてヒョンビン(いや、キムテピョン)が厳しい訓練を受けて成長して、
次のステップに行こうとしている間に
こんなに目まぐるしい毎日を送るとは夢にも思わなかった。

彼が除隊するまでには、福島もなんとか落ち着いてくれる事を願う。

1月に韓国に行った事なんか、まるで嘘のような遠い事のような感じがする。
あんな風に平和に過ごす時間が戻ってきて欲しい。

あの時は何も思わなかったけど、
あの平穏な時間がなんて幸せだったんだろう。
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by mismis10 | 2011-04-25 09:56 | 韓国ドラマ(HYUN-BIN関係)

「震災の後で」

~安心出来る構想の提示~


孫正義氏。
この方の報道は100億円の時も驚いたがさらに今回もびっくりした。
凄い人だと、とても感激した。
「自然エネルギー財団」を創立するという構想だ。

太陽光発電、太陽熱発電、風力発電、地熱発電、バイオマス発電、海洋発電などの、
自然エネルギーの研究と政策提言を発表したのだ。

ところが、それから数時間もしないで、
孫氏の構想に異論を唱える記事が出た。

『孫氏の言ってる事は的はずれ』だと。
さっきまでの気持ちと裏腹に急に気分が落ち込む。
何が「まと外れ」なんだろうと。

その内容を把握するのと、孫氏の構想を聞くまで、
自分で消化するのに時間がかかってしまった。

まず、動画を見た。(下記に貼ってあります。)
かなり長い動画だが見てたら最初の方は、
ソフトバンクの携帯機能に今回の震災時に駄目だった部分の改善の話が導入部だったが、
その後に次々と出された話の内容は、とてもわかりやすかった。

ただ単なる自分の考えた財団の発表かと思って見たのだが、違っていた。

「自主避難」などの解りにくい指示についての話や
「IAEA」の検査方法と日本の検査方法の違い。
「国際的風評被害」に対しては国際基準での開示。
「言論統制」についての話。
さらに本論である「自然エネルギー財団」についての構想。


的外れだと指摘した学者の話も読んだ。
経済学者の池田信夫氏が★言論プラットホーム「アゴラ」という場で述べていた。
読んでみて解釈を試みたがどうも良く解らない。
(★の部分のサイトは下記に参考として飛べるようにしてあります。)

文中『昔から「原発か反原発か」「化石燃料か再生エネルギーか」という対立があり、
経済成長のためには、どういうエネルギーのポートフォリオが最適かという戦略がおきざりにされて来た。』
と書いてあった。

まず、ここの段階でもう私は挫折した。(笑)

※ポートフォリオ(Portfolio)ってなんだろ?

※本来は「紙挟み」や建築家の作品ファイルの意。
しかし現代の日本においては、ある程度の資産を持つ投資家が、
自らの資産を複数の金融商品に分散投資すること。(ウィキペディアより)

記事を最後まで読んでみたが要するに、
今まで、こうした自然エネルギーに関しての論議は語りつくされた。
孫氏にはそういう今まで議論され続けて来た技術開発では無く、
新しいビジネスモデルを作り電気事業に参入してはどうかという話だった。
東電に対抗する企業が無いらしい。

よくよく読んでみたらこれは、経済的な部分でのみでの話だった。
悪いけど、孫氏の動画のように心を揺さぶられなかった。

経済の先行きを議論する事は大事かもしれないが、
今現在、まだ原発問題が収束していない福島においては、
こんな話をされても仕方ない。

それこそ、私には「的はずれ」の話だった。

孫正義氏がいち早く(首相よりも早く)福島の避難所に来てくれて、
その後にこの財団の構想を聞かされた私は、
すでにそれだけで文句なしにこの財団設立の話に拍手したい。

経済学者が何を言おうと、私には孫氏が救い主のひとりにみえる。
今、原子炉アレルギーになっている私には「自然エネルギー」と聞いただけで夢が広がる。
たとえそれが売名行為だとか、無理な事だとか言われても私はそうは思わない。
今、不安をかかえての毎日の中で、構想をねって、それを発信してくれるだけでもありがたい。

のろのろと安心出来る構想案をまったく示さない政府よりも、
ずっと私達を穏やかにしてくれる話だと思う。

また、こうした孫氏の構想に対して、
政治家達は電気事業連合会や電力総連に牛耳られて、
メディアは電力会社からの広告漬けの中で
「自然エネルギー計画」をどう着地させるのかという部分を心配をする記事も読んだ。

メディアが取り上げない「原発反対デモ」など、
確かに私の知らない世界が存在するという事は、なんとなくわかってきた。

でもこのまま福島がおめおめと踏んだり蹴ったりの生活ばかり無理強いられていては堪らない。
この思いをした分、何かが変わってもらわないと。

日本のエネルギー問題は、
この福島第1原子力発電所の事故から方向性が変ると信じている。


~~~~~~~~~~~~~~~~~

参考までに経済学者さんの意見はこちら。★【アゴラ】

孫氏の構想の動画。
自主避難や言論統制の話は13:50あたりから出て来ます。
また、「東日本ソーラーベルト」の構想の話は35:00あたりから出て来ます。
お時間が無い方は、そのあたりだけでも見て下さい。


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by mismis10 | 2011-04-24 11:24 | 東日本大震災

コメント欄について

いつも訪問ありがとうございます。

さて、このブログはコメント欄が付いておりません。

本来は、コメントをいただきながら、
それに私が答える言葉のキャッチボール的なお付き合いが、
ブログの正しい使い方なのでしょうが、
私は、自分の考えを知っていただくだけで満足なものですから
あえて設置しておりません。すみません。

もし、書いてる内容等でおかしい部分とか、
または共感出来る部分とか、ただ何となくとか、
なんでもよろしいので、気が付いた事などは
右脇の下の方に「メール先」がございますので、
どうか遠慮なくメールを下さい。

ご面倒ですが、アドレスはコピー&ペーストしてから、
●の部分を@に変えて送信して下さい。

返信には時間がかかったり、または直ぐ出したりと、
ややこちらの都合でお返事をしますが、必ずいたしますので。


>業務連絡。
Taoさん、Mさん、Wさん、そういう訳です。(笑)
ご面倒かけますがよろしくお願いします。
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by mismis10 | 2011-04-24 00:50 | 日常あれこれ

「震災の後で」

~お詫び風景~

朝、夫を車で送る時にみた風景。
3月11日の震災からすでに1ヶ月半を過ぎた。
相変わらず防災服であるカーキ色の作業着の上下での出勤姿が続いている。
新学期が始まり真新しい制服と靴で身を包んだ高校生がその中に混在している。
高校生達も、ふざけっこしながら歩くなんてしぐさは見られない。

日中、下校時の新小学1年生をみた。
真新しい大きなカバンをしょって、黄色い帽子をかぶり、
前を向くと歩いていたすべての子供達がマスクをしていた。
見ているだけで息苦しそうだった。

~~~~~~~~~~~~~~

4月21日、菅直人首相が来県した。
知事に会い半径20キロ圏内を「警戒区域」とする事など等を含めて会談した。

この警戒区域とは、災害対策基本法にもとづく措置で、
強制的に立ち退きや立ち入り禁止を命じられる。

22日の午前0時から実施されるとなり、
この区域に家財道具などを取りに戻る住民の車で国道6号線は渋滞したそうだ。

もう行けないとなると、確かに着の身着のままで出て来たのだから
何か持ち出したいと思う気持ちは分かる。

またこれから行われる「一時帰宅」は本当に最小限の物しか持ち出せないらしく、
最大2時間という制限もある。

わかり難い「なんたら区域」ばかりが目立った国からの指示だが、
「一時帰宅」という言葉には「いったんは、家に帰れますよ」の希望があった。

おそらく該当している住民の人達は、
1世帯あたり一人で時間の制限があるとは夢にも思わなかったのだろう。
だからこそ、その実施の前になんとかしようと皆考えたのだろう。

実は避難所から荷物を取りに戻るという行動は、
きのう今日に始まった事では無かった。

避難生活が長引きそうだと分かった時点で、
車があって、ガソリンが入れられる状態になって来てからは、
かなりの人達が行ったりしていたらしい。

避難所の中では、口コミ情報みたいなものがあり、
「誰それさんちは行って来た」「大丈夫だった」とか、そういう情報を聞くと
「うちも行かないと」となったのかもしれない。

それは、見えない放射線のせいもあるのだろう。
また、はっきりした数字が示されて無い状態なのも関係していると思う。

しかし不思議なのは、その後のスクリーニングでひっかかったとかいう報道は無い。
それは必ずしもあの20キロ圏内が高い数字を出しているわけでは無いからなのかも。
原発が放出する放射線物質の広がり方は、地形や風向きが影響しているからではないか。
あの円はある意味関係無い。ただの決め事にすぎないようだ。

科学物質が関係している避難なのに、
科学的な説明がきちんとされていないがための混乱の実態なのではないかと思う。

~~~~~~~~~~~~~

また同日。
首相が田村市の避難所を訪問した時の報道が地方の各TV局で報道されていた。
短く報道していた局もあれば、長く時間をさいていた局もあった。

前に書いた気仙沼の訪問とは違い、今回は避難していた住民は首相を待っていた。
その場所には数十名しか居ない避難者達なのに、
首相は一部の人だけに声をかけて去ろうとしたので怒った夫婦がいた。

私はこの報道をみて、まず思ったのが生後4ヶ月の赤ちゃんである孫との避難生活だ。
あの寒そうな体育館の床でダンボールの衝立の中で生活しているのかと、とてもそれが気になった。
何か事情があるのかもしれない。

更に会話の中に出て来た「大熊町にだけ」という表現が気になった。
葛尾村からの避難というその夫婦の旦那さんのほうが、はっきりそう言っていた。

避難所はそれぞれ別の自治体の町や村の人達が混在している場合が多い。
それぞれ、その町や村の間で受けとめ方が違う。
うちの町はそれほど多くの恩恵を受けてないのに原発で被害をこうむったとか。
そういうたぐいの話もたくさん聞いた。
東電や国からのお金が多くおりる自治体と、そうで無い自治体との差があるのだ。

「原発が立地している町にだけに声をかけた」と、そう言いたかったのだろう。
(福島第1発電所は大熊町に立っている。)
これが放射能での被災なんだろう。

それにしても、ただ来るだけの慰問は無いに等しい。
もし、首相本人にそういう配慮が無い人なら回りの側近の人達も、
事前にどういう人達がいるのかとか、少ない人数だったら全部の所を回ったほうが良いとか、
誰か教えてあげれば良いのに。そんな風に思った。

思えば菅総理は、市川房江氏の選挙参謀として市民運動で活躍したのが縁で、
政治家になったというので若い頃の私は凄いなと思ったものだ。
さらに薬害エイズ問題では、私は代議士が頭を下げるというスタイルを、
はじめて見たような気がして衝撃を受けた。
それまでは政治家が「ごめんなさい」などと言うのは聞いた事が無かった。
(最近では誰でも皆「ごめんなさい」してるけど。)

上に行くにしたがって、いつのまにか、
そういう気持ちが分らない政治家になってしまったのだろうか。
誰も進言すらしてくれない孤独で寂しい人間なのだろうか。

~~~~~~~~~~~~

首相が来た次の日。4月22日。
約1600人が避難している郡山の避難所に、東京電力の社長が謝罪の挨拶に来た。
約2時間かけて会場を土下座して歩いている姿が報道されていた。

怒号が飛び交う中で、苛立つ住民からの声を聞きながら歩く姿が映し出されていた。
「来るのが遅い」「ここに住んでみろ」「2時間いただけで帰るんだろ」などなど。
皆、TVカメラなどが並ぶ中で、口々に厳しい事を言っていた。
長引く避難生活で、ぶつける相手が目の前にいるというのが彼らをそうさせる。

しかし、この人を責めても今の福島第1発電所の危機は変らない。

しかもこの人は東電の会長という人が院政を引いてるという噂で、
ただのお飾りだという記事も読んだ。

私にはボロボロになってお詫びしている姿の社長のほうが、
ポーズだけの首相よりはマシにみえた。

その前に謝罪に訪れた福島県庁で知事は
原子力発電所の中で働いている人の劣悪な環境の改善も社長に言っていた。
あの人達が我々の希望の星だと。

私もその人達が報道されているような環境から少しでも良くなればと願う。
彼らの多くが地元採用の人間なのだから。


こうして報道や記事を見てるだけで、
なんだか世の中の理不尽さや、人の人生などをつくづく感じる。
そして疲れる。
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by mismis10 | 2011-04-22 22:36 | 東日本大震災

「震災の後で」

~貴重な資料~

原発の問題では連日、たくさんの報道が出ていて
どこから話をして良いのかさえ分からないくらいだ。

冷静に、順を追って考えていこうと思う。

あまりにも多くの事がどんどん報道されるので、
自分なりに報道を解釈して問題を考える癖をつけようと思う。



文部科学省から、
「福島県内の学校等の校舎、校庭等の利用判断における暫定的考え方」について
という発表が4月19日に出された。

文部科学省と原子力災害対策本部、原子力安全委員会がその案を考えたらしいが、
そもそも、この基準値があまりにも高いと、
今回福島県内の指定された13の学校へ通う子供達を含む保護者や関係者から非難の声が上がっている。

その後の説明会は、紛糾して予定よりも2時間も延長されたようだ。

説明会が終わって帰宅する保護者らからは、
「結局、国からは具体的な対策が示されなかった」
「自分の子供は自分で守るしかない」
などと口々に怒りながらインタビューに答えていた画像をTVで見た。

文部科学省のHPをみると、今回の通達が開示されていた。
文中にこの値が決められた経路を示す内容が載っていた。
~~~~~~~~~~
国際放射線防護委員会(ICRP)の
Publication109(緊急時被ばくの状況における公衆の防護のための助言)によれば、
事故継続等の緊急時の状況における基準である20~100mSv/年を適用する地域と、
事故収束後の基準である1~20mSv/年を適用する地域の併存を認めている。
また、ICRPは、2007年勧告を踏まえ、本年3月21日に改めて
「今回のような非常事態が収束した後の一般公衆における参考レベルとして、
1~20mSv/年の範囲で考えることも可能」とする内容の声明を出している。
~~~~~~~~~~~

どうしてこんなに面倒な言葉にするんだろう。
通達だし、お役所だから仕方ないのか。
要するに『国際放射線防護委員会という人達が緊急の時は一般人の参考にして考えると、
1~20mSv/年だったら、多分、大丈夫じゃないのっていうからこの値にした。』と理解した。

しかしながら、ここでおかしいと思ったのが、
1~20とした値だったら、どうして1に近づけないのだろう?
大きい数字を取るというのは何故なのだろう?

そういう少ない数字に基準値を設定すると、発表された13の学校よりも、
もっと多くの学校が指定されるからでは無いか。そんな疑問がわいた。

さっそく、その辺りをブログ等で発信している専門家の学者達がたくさんいた。
直ちに、子供達を疎開させよ。と言ってる方もいた。
文部科学省は法律違反をしている。と言ってる方もいた。

過去に文部科学省が所管している法律があって、
その基準値を文科省自身が設定しているらしいのだが、それによると
「外部放射線に係る線量については、実効線量が3月あたり1.3mSv」
を超えるおそれのある場所については放射線管理区域を設定するようにと、あるらしい。

その値からすると、3ヶ月であたり1.3mSvというのは、
それをmSvの千分の1に直すと0.6μSv/時になる。

※ mSv(ミリシーベルト)
※ μSv(マイクロシーベルト)

したがって値を表示するのならば、この0.6μSv/時か、または、
先に出した国際放射線防護委員会の人達の助言の最小値の1μSv/時とするべきではないか。
と、普通の主婦は考えるのだが発表はそうでは無い。

この値を出すにも福島県側からは震災後、正確には水素爆発後に、
各学校の値を国に報告して基準を示すように働きかけていた。

(前にブログで、二人一組で100箇所ほどの測定を、普段の業務に加えてやっていると書いた覚えがある。)

しかし、新学期が始まる始業式にも間に合わず、
結局、通達が出たのは4月も中旬になってからなのだ。

いつもいつも、今までに無かった事だからの説明が付いて回る。
やりきれない。

私ら福島県民は、子供から大人まで、いや、生物皆すべてが、
これからの為のサンプルになっているような気がしてならない。

今後また原子力発電所が同じように、
放射性物質を撒いた時のための貴重な資料となってるような気がしてならない。
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by mismis10 | 2011-04-21 22:00 | 東日本大震災