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震災後一年が経って

2012年3月11日。
朝からずっと震災関連の報道。
興味の無い人にとっては、またかと思ってる人も大勢いるだろうなと思う。
自分が震災に遭わないと気持ちは分らないのだろう。

各局の報道をあちこち見てるうちに、思わず涙が出るシーンとかにも出くわす。
そういう時は、自分が震災にあったんだとまた再確認する。
ただ、こうして駄々漏れみたいに報道するのでは無く、きちんと風化させないような報道って無いのだろうかと思ったりした。

「復興、復興」と言われても、全然そんな気になれないまま一年が過ぎた気がする。
福島の場合、放射能被害の無かった被災地と決定的な違いは、震災が未だ継続中である事だ。しかも終わりの見えない放射線との戦いがこれからも続く。

自分で当時の事をまた振り返って読んだりしてみた。
【約一年前の事】

あの日、地震が起きた時間、私は外出していて車の中にいた。
スーパーの駐車場の空きスペースに、車を止め買い物をしようと丁度エンジンを切った所に、あの地震が来た。ハンドルにしがみついていないと、どうしようも無い位に身体が揺れた。隣の車の中の人も同じようにしがみついていた。

目の前にあった建物の屋上駐車場へ上がるスロープ状の道路が、大きく上下して揺れた。道路がゴムみたいに波打つのを生まれて初めて見た。
一年経った今でも、そのスーパーのその場所に行くとまた同じように揺れそうな気がする。

地震が収まった後は、多くのモノを失い、要らないモノを受け入れざるを得ない立場になった。
壊れた物は諦めもつく。
しかし、放射性物質は余計だった。

あれから一年経っても常に頭にはその放射能の存在がある。
放射線というのは、病院のレントゲン室前の表示しか縁が無かったのに、今ではすっかり囲まれての生活。その単語さえ知らなかった「マイクロシーベルト」なんていう単位も舌を噛まずにすらすら言えるようになった。

多くの家庭では、放射線の測定器を自前で持つようになった。
中には数台も持っている人もいる。
測定値が色々と出るので、複数使って判断している人も多い。

学校や、公園、子供達が集まりそうな場所に、放射線量を測るモニタリングポストが設置されている。
震災後一年が経って_c0073802_21521113.jpg


今日。
通りかかった道路で、赤信号が変わる前の時間に公園のほうにフッと目をやると白いポストが立っていた。
ついこの前までは学校の校庭とかでしか見かけなかったが、最近ではあちこちで目にする。
こんな場所にも出来たのかと思った。

たまたまネットの記事で読んだが、大手メーカーのNECがデザイン等を担当して浜松の会社が電源系や探知機を作ったのそうだ。

直径約50cm、高さ1.5mで、太陽光パネルで稼動するのだそうだ。
昔の赤いポストほどの大きさの白いタイプに、四角いパネルが付いている。
数メートル離れた場所からでも、赤い電工掲示板の放射線量の値の数字が読める。
(この日の数字は0.338マイクロシーベルトだった。)

「今日は雪が降ったから低い数字なんだなぁ」とか、それを見て考える。
まるで駅前とかに設置してあるデジタルの温度計の数字を見るように「今日はお天気が良いから高温なんだ」なんて思うのと似ている。

何回も言うけど、いったん出てしまった放射性物資は無くならないのだから、こうして放射性物資と付き合うしか無いのか。
福島で生活するというのは、これが日常になるのか。

しかし何の情報も無いまま、不安な状態で無防備に過ごしていた一年前を考えたらマシになったと思わないと。

これから先の数十年、この放射性物質と付き合う覚悟も出来て来たように思う。

信号機が変わるまで、そんな事を考えた。


(モニタリングポストは、次に通った時に、車を停めて画像を撮って来た。
公園だけれど、人っ子ひとり居なかった。)
by mismis10 | 2012-03-11 22:14 | 東日本大震災
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