泥縄


3月に入った。
朝、茨城県沖で大きな地震があって福島も揺れた。
大きな地震とかがあると、トラウマ的にヒヤッとする。
3.11の地震以来、約3ヶ月くらいは余震が続いたせいで地震酔いというのも身体で分った。最近はおさまって来たが、やはり大きな揺れは嫌なものだ。

民間の有識者で構成された「福島原発事故独立検証委員会」の記者会見が2月末にあった。約1年前に起こった当時の混乱ぶりが事情聴取によって検証され明らかになった。

メンバーには、元「原子力ムラ」の立場の学者もいたというが、はっきりと『泥縄』という言葉を使い日本記者クラブでの会見は痛烈なものだった。

震災翌日の1号機の水素爆発が引き金になって、関与が定まっていない官邸の現場介入の上に、原子力災害対策マニュアルや関連法制を無視した形の場当たり的な対応をしたという。

緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム「SPEEDI(スピーディ)」が避難に使われなかった国の失態を、原発を維持し住民の安心を買うための『見せ玉』にすぎなかったと言い切っていた。

報告書は、日米同盟の役割も語っていた。

米国が原発テロ対策を促していたにもかかわらず、保安院はこれを放置していた。
更に、米国側は日本からの不十分な情報提供にいらだちを募らせ、独自に日本政府より広く原発の半径80キロ圏内の避難勧告発令に踏み切った。

私も当時、あの80キロ圏内の避難勧告報道に焦った。
自分の住む場所が原発から約60キロだから、完全に避難だと感じた。
直ちに影響は無いとか言われても不安だった。

一方、日本は15日の閣議で、米の支援申し出について「単に原発事故の情報が欲しいだけではないか」との発言が飛び出すなど相互不信が高まっていたという。

それもちゃんと覚えている。
何故、日本はアメリカの申し出を受けないのかと感じたのだから。
国の威信ばかりが優先で私達の事はどうでも良いのだろうかと裏切られた気持ちだった。

こうして日米両政府間の意思疎通が機能不全に陥る中で、防衛当局間のラインが「最後のとりで」になったと評価している。

自衛隊と米軍は震災直後から「日米調整所」を防衛省内などに設け、救援や事故対応で連携して外務省や東電を交えた日米当局者の会議は防衛省内で開催されたという。震災から10日も経った22日に官邸主導の日米会合が立ち上がるまでの間「日米間の調整を担ったのは自衛隊と米軍の同盟機能だった」という。

あの頃、私達に力を与えてくれたのは、国会議員や首相の姿では無く自衛隊の姿だった。震災や原発の放射能災害に遭わなければ、私は自衛隊の存在など深く考えなかったと思う。

もうすぐ11日がやってくる。
それに向けていろんな報道があるのかもしれないが、私の中では1年経ったとは思えない。

産業界、官僚、政治家、学者らが密接に結び付いた「原子力ムラ」は、長年にわたって安全神話ばかりを唱え何かあった時の対策を怠っていた。しかも事故が起こった後、それらを唱えていた人達が私達に何をしてくれたのか全然見えない。


放射線汚染に対する泥縄式の国の対応は、あれ以来ずっと変わらなく続いている。
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by mismis10 | 2012-03-01 23:35 | 東日本大震災
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