判決


2月20日に光市母子殺害事件の判決が出た。
いろんな事件があっても、この事件は鮮明に覚えていた。

13年前の事件の後、若い夫で若い父親の本村洋氏がマスメディアを前に「この手で犯人を殺したい」と過激な発言をしたのがついこの前だったような気がした。あれから13年も経っていたのかと驚いた。当初の頃の彼は裁判の後に行われる記者会見のたびに過激な発言をして来た。

途中から死刑回避をしようと、一般的な人間が考えてもおかしいような無理のある新供述を持ち出した弁護団のやり方は私ですら変に感じた。

いくら少年が未熟であったとしても、復活の儀式だとか、ドラえもんの例えや、蝶ちょ結び等の言い訳がましい供述を真面目な顔で読み上げた弁護人の記者会見には、当時違和感を感じた。

更に、そうした弁護団のやり方に、タレント時代の現橋下大阪市長が弁護士の懲戒請求書を出すようにTVでコメントした事で騒ぎにもなった。本来の裁判の目的とは別に多くの事が絡んだ裁判であったと思う。

しかし、そんな中、遺族であるこの本村洋氏が、何の落ち度も無い人間が不幸にも人生を絶たれた無念さを晴らそうとしても何も出来ない悔しさを訴え続けて来た。

残された遺族のそうした理不尽さ、今まで無視されてきた犯罪被害者の悲しみや怒りを、世間一般の人達に認めさせ、ついには司法の世界の見えないルールさえ動かした意義は大きいと思う。

普通の人間が不幸にして何かの事件に巻き込まれた場合、法治国家である日本では裁判という手段でしか、その相手に対抗出来ない。しかし、その裁判が、以前の(この事件の場合、永山基準という死刑適用基準)でしか司法の世界では判断されて来なかった経歴がある。

でも今回の判決で、そうした一連の流れが変わっていくのかもしれない。

事件直後、妬けになって会社に辞表を出した本村氏に、会社の上司が諭したりして激励し続けてくれたという。

また、裁判が続く中、同じように理不尽な理由で妻を殺された元日本弁護士連合会副会長の岡村勲氏や支援者仲間らと犯罪被害者の会(現、全国犯罪被害者の会)を設立し、犯罪被害者等基本法の成立にこぎ付けた。

この時まで被害者の遺族がどういう扱いを受けていたか知らなかった。

例えば、それまで被害者となった側の遺族などは、自分達の事なのに公判記録の閲覧さえ許されず、家族などが被害にあっても裁判の傍聴席も一般の人と同じように並んで確保しなければならず、ましてや遺影などの持込の禁止や質問の機会はまったく与えられなかった。相手が少年の場合はさらにいろんな規制が付く。

被告の人権ばかり尊重し、被害者を踏みにじる形の司法を変えようとした人達の地道な動きが実った形だ。それだけでも凄い事だと思う。

本村氏は、3年前には再婚もしたという。
ネットでは、その再婚の事実に賛否両論らしい。

でも誰か傍で支えになる人が居るというのは、やはり必要だと思う。
「判決が出るまで再婚するなよ」なんて他人がとやかく言うべき事では無い。これだけの被害に遭い精神的にもズタズタにされた心の内は、本人にしか分らない壮絶な苦しみがあったはずだから。

私は本村さんを支える相手が見つかって良かったとそう感じた。
彼自身、会見には自分しか出て来なかったが後ろには亡くなった奥さんのご両親や自分の家族や周りの人達が支えになってくれてた事を話していた。

判決後の記者会見では、今までの発言等の陳謝から会見がはじまった。今や、ネットでこうした会見を見れる。そこには13年前の目には目を的な過激発言をする姿は無かった。

「20歳に満たない少年が人をあやめたとき、もう一度社会でやり直すチャンスを与えることが社会正義なのか。命をもって罪の償いをさせることが社会正義なのか。どちらが正しいことなのかとても悩んだ。きっとこの答えはないのだと思う。絶対的な正義など誰も定義できないと思う」

「一番いいことは犯罪がなくなることだ」と話した上で「この判決に勝者なんていない。犯罪が起こった時点で、みんな敗者だと思う」とも述べていた。

本人にしか判らないこれまでの心の葛藤を十分承知した上での静かな話し方だった。
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by mismis10 | 2012-02-23 22:01 | 日常あれこれ
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