台湾・12・台湾で最も有名な日本人

八田與一
私が今回台湾に旅する事が無かったら、おそらく知らなかったであろう名前。
失礼ながら私は、初めてこの名前を覚えた。

中学校の教科書にも載っている彼をほとんどの台湾の人が知っているという。
特に高齢者にとっては台湾では最も有名な日本人なのだそうだ。

それは彼が残した功績が凄かったからだ。
日本統治時代に、アジア最大のダム・用水路建設をした人物で、人生のほとんどを台湾に住み偉業を成して亡くなった人だ。

台湾の嘉南平野は台南市や嘉義市を含む台湾最大の平野。しかし水の便が非常に悪く、サトウキビすら育たなかった不毛の大地だった。そこに、烏山頭ダムと1万6000キロにおよぶ灌漑用水路の建設をした土木技師が八田與一氏だ。

ダムだけでなく、その後の灌漑用水路が、台湾の農業に残した物は非常に大きい。

また、彼はその業績を成すまでに、作業員のための町を作り、作業員の家族の宿舎や病院、娯楽施設まで作ったのだそうだ。

多くの人達が犠牲になった時も、台湾人と日本人の区別無く慰霊碑に名前を連ねたという。
常に労働者の立場になって仕事をすすめていた人らしい。

雨が降る嘉南平野を見渡すバスの窓からは、青々とした水田が永遠に続くような風景を見たが、その礎を作ったのが日本人だったとは、私が日本人なのに全然知らなかった。
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走るバスの中から、遠くのダムの場所が、添乗員さんから説明された。

ダムの作り方もこの時期の一般的な作り方とは違っていたらしい。
未だに、そのダムは壊れる事も無く水を満たしているという。

何時間もバスに揺られる間に、そのお話をアニメで見せられた。
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アニメはその功績の偉大さよりも少年同士の友情が話の中心だった。
題名の「バッテンライ」は、「八田が来た」という意味だという。
虫プロの作ったアニメだった。
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八田は太平洋戦争の最中の1942年、陸軍に徴用されてフィリピンに向かう途中、乗っていた船がアメリカの潜水艦に撃沈されて、56歳でこの世を去った。

その後、太平洋戦争に敗れた日本人は一人残らず台湾を去らなければならなくなった。
妻の外代樹(とよき)は、夫が心血を注いだ烏山頭ダムの放水口の身を投げて後を追った。
外代樹も與一と同郷の石川県金沢の人だった。享年46歳である。

嘉南の農民たちによって八田與一夫妻の墓がその地に建てられた。

中華民国の蒋介石時代に、日本の残した建築物の破壊がなされた際には、地元の有志によって隠されて、銅像が壊されるのを守ったのだそうだ。

そうやって作業着姿の銅像は、いまも農民たちの手で守られて、命日の5月8日には現地の人々によって追悼式が行われているそうだ。

司馬遼太郎の「台湾紀行」(朝日新聞社)にスケールの大きい明治時代の男の話としても書かれているらしい。今度読んでみようと思った。


こういう明治の男がいたとは。感激だ。

【八田 與一】
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by mismis10 | 2012-06-23 22:13 | 2012・台湾
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