ごく最近わかった事だが、昨年の震災の地震で実家の家が全壊だった。
全壊と言っても、見た目はそのままの家の形で建っている。 ただ、土台が20cm程移動して、また大きな地震が来たら危ないらしい。 それで近く取り壊す事になった。 しかも3月いっぱいで目処を付けよというので、今月に入ってからひたすら荷物を処分する日々が続いている。 詳しく言うと、実家は山の上と下に二つの家がある。 私が育って母や弟らが住んでいた実家は、徒歩で急な坂をあがった山の上に建っていた。 母が倒れてから、その坂の登り口部分にある家の駐車場のあった場所へ弟が新たに家を建てた。山の上の実家はそのまま、大部分の荷物も置いたままだった。 それが全壊していた。 築40年以上経った家は、建坪が120坪近くある。 その中に信じられない位の荷物がぎっしりある。 食器棚だけでも6つあった。 その中のどこをあけても、とにかく、みっちりと器が入っていた。 最初のうちは選んでいたが、だんだんそれも面倒臭くなり、ひたすら捨てる作業。 思い出の品とかノリタケとかの器以外は、全部処分した。 また、元気なうちは母が華道を教えていたので、ちょっとした陶器店みたいに花器がある。 同じ種類の花器が1ダース単位で出て来たりする。 見ただけでうんざりする量だ。 それらの壊れモノを土のう袋に入れ運び出す。 それを手で運ぶ。 これがかなり重い。 また、布団類は数えただけでも三十組は処分した。 毛布とかは数えてもいない。 それと私を含めての子らの小さい時からの服や着物類。 母の服や着物。 さらに母の趣味のモノの作品類が、これまた凄い量。 革。習字。押し絵。水墨画。編み物。洋裁。 それらの道具と作品。これも凄い量だ。 戦争経験者である母の世代は、とにかく捨てるという事をしない。 何でもかんでも取って置く。 昔から母の場合「片付ける」という行為は、目に付く場所から見えない場所にモノが移動するだけという事だけだった記憶がある。 母が倒れた時も入院中にかなり処分したが、家全体としたらまだまだあった。 数十年も昔のモノが、どんどん出て来る。 とにかく、どの物入れや押入れをあけても、みっちりと物が入っている。 昔の家だから「天袋」なんてのが「押入れ」の上にあって、出来れば開けたく無いけど、そこを開ければ、そこに更に物がある。 出せども出せども、まるで暗黒の世界に入った感じ。 どんだけモノがあるのか、途方に暮れる量だ。 断・捨・離とは無縁の家だ。 その中のモノをかき出して、ビニール袋やダンボールに入れるだけでも大変な作業だ。 ところが、それを今度は坂を下って下の駐車場まで運ぶ作業がある。 これが、半端無く大変な作業なのだった。 しかも弟は、ぎっくり腰をやって役に立たない。 ほとんど、春休み中の甥っこが頑張ってくれている。 丁度、私の長男も来た時は肉体労働して帰って行った。 若い彼らでもしんどい坂道。 ちょっとした坂では無いモノ凄い坂道なのだ。 言葉にすると解りずらいので、実際に坂を上がって下がってみてもらうのが一番なのだが。まぁ、日光の「いろは坂」のミニミニ版という感じかもしれない。 昔のエピソードで私が学生だった時、遠くからの友人達を家に連れて来た。 「道路から直ぐの家でなく坂を上がった所にある」と事前に説明しても、登山のように続く道を歩く途中には、はぁはぁ息をしながら、 「何処までこの坂は続くの?」「本当に、この先に家はあるの?」と皆言ったものだった。 「信じられない」と何度も言われたし笑われた。 私は坂の多い城下町に生まれたので、子供の頃から坂は気にしないで育った。 だが、実家はちょっと事情が違う。 町内でも有名な坂をあがりきった山のてっぺんに建つ一軒家なのだ。 坂を降りたら、町の中心部なので不便でも何でも無い。ただ坂がネックなのだ。 もちろん、ガス、水道、電気もあるし、郵便物も宅急便も届く。 宅配の人には本当にお気の毒だが、母は宅配の人用にいつも缶ジュースとか飲み物を用意していた。そのくらい坂を歩かないとたどり着かない。 亡くなった父が気に入って買った山の上に建てた家だった。 建てた当時は、父はこんなに車社会になるとは思っても見なかったのだろう。 建材をよくココまで上げたと皆に驚かれた。 確かに夕暮れから夜は街の明かりが綺麗な場所だった。 小さい頃、父から、ここは歴史的に由緒正しい、今でいうお城の敷地内の「お薬園」だった場所だと聞かされたが、私達子供にとっては傍迷惑な場所だった。 小学生くらいまでは楽しかったが、思春期を迎える頃には山のてっぺんに住む自分達がちょっと恥ずかしかった。 まぁ夜中まで騒ごうが何をしようが近所迷惑にならないのでそれは助かったし、むしろ隣が隣接している初めての一人暮らしを始めた時のギャップの方が大変だった。 山そのものは多分800~900坪くらいだが、家は増築をしながら大きくなってしまっていた。 冗談抜きに、すでに約2トン近くのモノを乗用車で清掃センターへ運んだ。 それでも荷物はまだまだある。 ブログの更新が出来ない時は、その作業をしているのだと思って下さい。 それにしても終わるのだろうか。はぁ~。
by mismis10
| 2012-03-17 14:42
| 日常あれこれ
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