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「震災の後で」


~あれから4ヶ月~

7月11日。
今日で、震災から4ヶ月め。

今日は、母の病院の関係で実家に泊まり。
ノートパソコンを持って来たので、
ここから更新してみようかとブログを書く事にした。

弟と夕飯時にビールを飲みながら、
環境放射線の値の高さについて話をした。

弟は私よりアルコールが弱い。
同じくらいの量を飲んだのに、
私はこうしてシャンとして明日の朝のお弁当の下ごしらえまで完了して、
さらにパソコンに向っているというのに、あいつはダウンして寝てしまった。
まぁ、それは余談だが。(笑)

『実家の町に避難して来ている自治体の町よりも、私の住む福島市の方が高い。』
という話になった。

そうなんだ。
あのコンパスで囲まれた避難地域の中には、現在では環境放射線の値が低い場所もある。
つまり、私の住んでる福島市の値は、そうした避難している人達の地域よりも高いのだ。

そうした中で普通に生活している私らって、本当に大丈夫なんだろうか。
いや、大丈夫では無いのだろう。
私の回りでも、けっこうな数の人達が福島市を脱出した。

小さい子がいる人達は、母親と子供だけが県外に出て、
父親だけが、仕事がある福島で生活している人が多い。

こうなって来ると、置いていかれたお父さんは大変だ。
もちろん、母と子だけで別の場所で生活して行くのも大変だ。
しかし、子供の事を考えると、やはりそんな不便な生活で別居してでも子の安全が一番なんだろう。

また、近所の人で、私よりも歳上の奥さんが、旦那さんだけ置いて避難している人もいる。
旦那さんが、いつも朝ゴミ出しをしていて、奥さんの姿は数ヶ月も見えない。
まぁ、よそのお宅だから別に良いのですが、小さい子も居ないのに珍しいなと思った。
多分、放射線に対して、そういう姿勢なんだろうな。

そうかと思うと、うちのように、
全然何も変わらず生活をしている家もたくさんある。
数的には、そうした家がほとんどだろう。

長引く原子力災害の後、私の心の中で何が変わったか。

震災の1ヶ月後くらいまでは、何がなんだか分らなかった。

2ヶ月後あたりは、なんとかしてくれよ、と思った。

3ヶ月ぐらいしたら、
あぁ、私達は国から見捨てられたんだという投げやりな気持ちが出て来た。

そして4ヶ月した今、もう誰も信用出来ない感じが強くなって来て、失望感が増して
こうして、いろんな事を諦めていくのだなという感情が出て来た。

誰が総理でも、私には関係ない。
放射線の事なんかを考えずに生活出来た3月10日以前の暮らしがしたい。

原発事故は落ち着くまでには数十年。
あと、何十年もこうした生活をし続けるのだろうか。
そう思うと気が重い。

今日、梅雨があけて、盆地特有の福島の蒸し暑い夏が来た。
連日、体温並みの気温の中で、思考能力も落ちていく。
この夏、何か楽しみも見つけないと、ますます落ち込む。
何か月もこうした状態でいるのは、心に悪いに違いない。
なんでも良いから、やっていかないと。
by mismis10 | 2011-07-11 23:16 | 東日本大震災
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