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「震災の後で」

~計画的避難区域と鉄腕DASH村~

飯舘村。(いいたてむら)。
もうだいぶ世の中の人には知れ渡った名前だ。
福島と聞いて、更に村なんていうと、とても田舎だと、
都会の人は思うかもしれないが全然そんな事は無い。

今でこそ、クウネル系の人達が田舎暮らしを望んでいるけど、
そんな流行のような田舎暮らしが大流行するずっと前から、
有機栽培や牧畜の盛んな村だった。

また村が出資して、農家のお嫁さん達をヨーロッパへと研修旅行させて
ノウハウを学ばせた事が話題にもなった事があった。

牛を育てるのにも力を入れて「飯舘牛」というブランド牛が有名。
東京の一流レストランや焼肉屋さんに卸すAAAAAランクの牛を飼う農家もいる。
私は農家では無いが、牛を飼ってる知り合いの人から話しを聞いた事があって、
そのAが幾つ付くかどうかで、高い評価になるそうだ。
そのための牛への努力と労力は、到底はかりしれないらしい。

昔から有名な珈琲の自家焙煎をする店もあり、
自宅から車で1時間ほどかかるが、
わざわざ飲みに豆を買いに行った事もあった。

それなのに、今回福島第一原子力発電所が水素爆発した時に、
北西という風向きが放射能を含む物質を運んで来た。

たまたまその風がその時に吹いていた。
その地形が放射能の物質がふらりと降り立つのに最適な場所だった。
しかも雨や雪が降った。

それが村の運命を変えたのだ。

同じく私の住む福島市の隣接する川俣町(かわまたまち)の一部地域も、
この「計画的避難区域」に入れられた。

川俣町は昔絹織物で栄えた町で、その絹長者が闘鶏を娯楽としてはじめた歴史から、
「川俣シャモ」というブランド鶏が代表産品として知られている。

また海外アーティストなどが出演する、
全国唯一のフォルクローレのフェステバルが行われていたりして
話題になったりする町なのだ。

しかも今回は20キロ圏内から避難して来た住民を積極的に受け入れて来た自治体だ。

大丈夫だと言われた自治体が、避難して来た自治体を受け入れて来ていたのに、
今度は自分達も追われる身になっている。
それが原発の事故後の現実。

その中の山木屋(やまきや)地区が今回入ってしまった。
この地区も高い場所にあるがための地形がいけなかったのだろうか。

20年以上前の話になる(もっと前かも)が、
うちの子供達がまだ小さい頃、この山木屋の牧場へ連れて行って遊ばせたりした。
牛乳やチーズもとても美味しい。
まだ、当時バニラビーンズがそう一般的に出回って無い時代、
ここでは本格的なアイスクリームを作っていた。

牧場に隣接されたアイスクリーム屋さんで、
手渡されたアイスの白い物体に黒いプツプツが入っているの見て、
その存在を知らない夫が「これ、ゴミが混ざっているよ」
と真顔で販売していたお姉さんに声をかけたのが、今でも家族の中では笑い話になる。

あの場所もか・・・と思うとせつない。

同じように運命を変えられたのが、葛尾村(かつらおむら)だ。
ここもやはり牛を飼う農家が多い。

最初の指示で、ほとんどの人達が役場機能共々で、
会津坂下町(あいづばんげまち)へと避難した。

牛の世話をしたいので、なるべく近くにとどまりたいと願う人達は、
近隣の市町村に家やアパートを借りてる人も居るという。
毎日毎日の世話が大事らしい。みんな必死なんだ。
それだけ家畜との繋がりは強い。

今回の計画的避難区域の牛も受難だ。
一ヶ月以内に周辺地域に移動するにも、放射線の値を計った上での移動だという。

牛といえば先日のTV報道で、
立ち入り禁止の10キロ圏内の行方不明者の捜索の時に、
4頭の黒い牛が並んで走っていた映像を見た。

首に付けたロープが引きちぎれていたのが見えた。
牛は本来、凄い力を持ってるので、
あんな頑丈なロープでさえ自力で引きちぎる力があるのだそうだ。

大人しく牛舎で飼われて居る時は、
そんな事はせずに、自ら人間につながれてあげているのだろう。
人間を信頼している証拠なんだと思う。

痩せこけた姿のまま走る4頭の黒い牛をみて、
人間の勝手で、あんなになってしまってと思った。

あの地区は、TVで放送されている「鉄腕DASH村」がある場所だ。
(現在は特番で放送されているようだが。)

場所は伏せて放送されていたが、地元の人達は分っていたらしい。
数年前に火事を出したために、地元新聞等で報道されてはっきり知れ渡ってしまった。

ただ、ジャニーズ事務所のタレントを扱う関係なのか、
あの敷地に一般の人達が近づかないように
警備員を置いたり、広大な敷地内に有刺鉄線を張り巡らしているのと話を聞いた。

いかにも業界のやりそうな事だなと思ったので、
私はけっこう醒めた目で見ていたが、
そういう事情を知らない都会の若い人達の憧れの田舎暮らしだったと思う。

浪江町(なみえまち)のこの地区は20-30km圏内にあり最初は退避指示が出た。
さらに4月11日に浪江町全域が放射線の累積線量が年間20ミリシーベルトに達する恐れのある
「計画的避難区域」へと指定された。

田舎の暮らしは、確かにあの番組で憧れになったかもしれないが、
そういう暮らしは今の田舎には無い。

また以前、ブログに書いた南相馬市の一部にも同じ指定が出た。
「相馬馬追い」のために飼われていたらしい馬の一頭が、
ボランティア団体に保護された画像が報道されていた。
その時の馬もアバラ骨が出て悲惨な状態だった。

近寄れない地区には餓死した家畜もペットの動物も大勢いるらしい。

とにかく人間も動物も生物も植物も、
生きてる命のある物はすべてが巻き込まれている。
あの原子炉に。

そういう地区へ、言った言わないで、
ますますこうした住民を混乱や悲しみに巻き込み、
あげくのはては責任押し付けの解任騒ぎ。

首相が言った事だと、福島のみんなはちゃんと判ってる。

そんな事はどうでも良いから、誰が辞める辞めないも、もういいから。
そういう地区を救う具体的で早急な案なり保護なりをお願いしたい。

なんで普通の主婦が、こうもカリカリしないといけないのだろう。
たぶん、世の中の対応が普通じゃ無いんだ。
by mismis10 | 2011-04-16 10:24 | 東日本大震災
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