4月11日。
3月11日の地震から、もう1ヶ月というべきか、やっと1ヶ月というべきか。 こんな風に1ヶ月という単位を考えた事は今まで無かった。 最初のあの地震は本当に衝撃的だった。 車の中で押しつぶされるかと思った。 やっとの事で帰って来た自宅内では、 鳴り止まないガスの安全ブザーの音を聞きながら、ガラスと陶器の破片を片付けた。 ブザーは、説明書を読んでもどこにも解除する方法が書かれて無い。 ガス会社に電話しなさいとしか書かれていなかった。 電話は繋がらず結局3時間くらい大音量でそれは鳴り続けた。 ガラスや陶器の破片の山をザクザクと歩いた長靴の足の感覚と、 あの耳障りなブザーの音がまだ耳に残っている。 2日間、夫とも連絡が取れなかった。 原子力発電所が水素爆発を起こした2日後、 深夜に夫をむかえに行った車の中で、どうしたらいいのか聞いてみた。 「俺は最後まで残らないと駄目なんだから、もしも避難しろと言われたら、 アンタはバァさんと、子供ら(甥、姪)を連れて避難しろ」と言われた。 避難して来ている親戚達にわからないように家の中で持ち出すモノを仕分けした。 私一人で皆を連れて行く覚悟もした。 欲しい書類や印鑑、あとは持っていきたい写真や手紙や思い出の品。 どこで線を引くか、とても悩んだ。 物はかさばるが、写真や手紙とか紙モノは意外に持っていけるのを知った。 ただアルバムとかは無理。 気に入った写真をちゃんと分けておけば良かったと後悔した。 何も持ち出す余裕が無かった人だって居たのだから何を今更考えているんだ自分は、 ・・・と反省したりして、なかなか仕分けが進まない。 下着や服はどのくらい欲しいのだろう。 毛布とかはどうなんだろう。 あれば良い物って何だろう。 行く先が避難所とかでなく自主避難だったら、どこまで持ち出すのか。 自主避難だったら何処を目指すのが安心なんだろうか。 原子炉が駄目になったら、もう何処に向っても駄目なんだろうか。 何の予備知識も無い自分が情けなかった。 なにがなんだか分からないまま、一日一日が過ぎて行った。 一日、1週間、2週間と。 地震さえおさまれば、水さえ出れば、食べ物さえ買えれば、ガソリンさえ手に入れば、 と、ひとつひとつ越えて来たように思う。 しかし、現在まだ越えられずにいるのが原子力発電所の事だ。 水素爆発による放射線の拡散によって、未だに家にも近寄れない人達。 風にのって拡散された一定地域への高い放射能の値に翻弄される人達。 風評被害で打撃を受ける農業、漁業、はては工業、商業、観光業。 地震や津波なんて天災は、いつ誰の身に起こるか分らない。 日本には原子炉が54基もある。 そのうち10基が福島の太平洋側の海に並んでいる。 知らなかったが、あそこは「原発銀座」とよばれているらしい。 10基も誘致を受け入れて来た私達福島県民が馬鹿だったのだろうか。 多額のお金をばら撒く代わりに建てられたその原発銀座は、今ボロボロの状態だ。 銀座なんて名前に似つかわしくない。華やかでも何でも無い。 今また再びあのマグネチュード9並みの地震が起きたらと思うと怖い。 どうかこれ以上、地震も津波も起こりませんように。 余震が続くたびに原子炉の事が気になる。 ヒヤヒヤしながら毎日の情報を見ている。 満身創痍で日々頑張ってくれている作業員だけが救いの主だ。 ========== 一ヶ月過ぎて、これから先どうなるのか未だに分らない事ばかりだ。 原子炉の事は、たとえ廃炉にするにしても、 過去のスリーマイル島やチェルノブイリの時と考えても何十年も先にならないと駄目らしい。 今回の災害では色々な被害が報道された上で、 自分よりもっと大変な目に遭っている人達を知った上で、 あえて私は自分自身のまわりの日常のみを書いて来た。 一般的な主婦の記録でも何も残さないよりはマシだろうと思ったから。 しかしながらこの問題はしばらく終わりが見え無いから、 もうこの件については書くのは止めようと思う。 回復のきざしが少しでも見えたら、また続きを書こうと思う。 時には独断と偏見に近い一人よがりの表現や、 原発や放射能の知識に未熟な私の文章を読んでくださって感謝します。 ありがとう。 ========== 時間のある時にここまで書いて置いていた所で、夕方また震度6の地震が起きた。 かなり揺れた。 カタカタカタという小さな揺れから始まってだんだんと揺れの幅が大きくなっていく。 またあの1ヶ月前と同じくらいの震度なのか。 いつも余震の揺れとは違うのはもう身体でわかるのだ。悲しい事に。 地震で揺れながら家具につかまりまがら、瀕死の状態の原子炉の事が頭に浮かんだ。 ここで大きな地震が来たら、どうなるんだろう。 頼むから自然よ、私達人間をこれ以上苦しめないで。 おさまって。お願いだから。 ========== そしてまた国からの目まぐるしく変る指示。 私があの日真剣に考えた事が、不意打ちのように大勢の住民に襲いかかる。 飯舘村の「計画的避難区域」という訳の分らない避難の仕方。 南相馬市の「屋内退避」や「自主的避難」を求めた上での更なる「緊急時避難準備区域」 またしても机の上だけで考えられた避難。 ただでさえ動揺している私達に、 なぜこんな解り難い言葉でしか伝えられないのだろう。 遠く200キロも離れた場所にいる霞ヶ関の人間達には分らないのだろうな。この精神的つらさが。 自然だけが苦しめるだけでなく、人間が人間を苦しめる。 一番守らなければならないはずの国民の命や生活を。 これだけの原子炉を作って置きながら、後始末も出来ない人間。 自然が怒る気持ちもわかった。 ===========
by mismis10
| 2011-04-11 23:58
| 東日本大震災
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