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日記で伝えたい「地震と原子力発電所の事」⑩

実家のほうに戻ったら、
町の様子はみんな平穏無事な感じで暮らしていた。

ただ、母の薬を貰ういつもの薬局が恐ろしいほど混んでいた。

20キロ圏内からの避難して来たお年よりが多いらしい。
薬剤師の人が町名を言ってから、名前を呼んでいたので気が付いた。

町で商店を経営している叔母の店にも避難して来た人達が大勢来たそうだ。
皆、着のみ着のままで避難して来たので気の毒だったと話していた。

牛の世話をしたままの姿で逃げて来たという、
牛のフンや藁や泥の付いた長靴で店に来た年配の女性には履いてた靴もあげたそうだ。

出せるモノで家にあるタオルや歯ブラシなど、援助物質が届くまで
年寄りが長年ためていた品を店先に皆出して持っていってもらったと話していた。

今は避難所の規模はだんだん縮小して来た。
これから先、また次の避難所へと移動せざるをえないのだろうが、
なるべく自分の土地の近くにいたいと思う人も居ていろんな手続きをしているらしい。

避難命令の出た20キロ圏内の町の人達は、
何らかの形で原子力発電所に従事した仕事をしている人がほとんどだ。

だから誰一人と言っては大げさだが、
誰も原子力発電所の事を悪く言う人はいなかったらしい。

夫や息子や親戚が未だに、あの原発内で事故処理にあたっている人もいるのかもしれない。
やっと避難所に来たのに呼び出されて、また原発に戻って仕事をする技術者の人もいたらしい。

東京電力の人達だけなく、こうした一般のフツーの、
下請けの関連会社の人達があの過酷な仕事をしているかと思うと心が痛む。
東電だって、政府だって、現場にいる人達に、
何らかの十分なサポートを出来ないはずが無いだろう。
満足な食料も身を守る計測器も与えず、ただなんとかせよなんて無理な話だ。

私は目撃したわけでは無いが、
この原発の事故のすぐ後、東京電力本社の家族達は会社の準備したバスで、
いち早く福島県から東京方面へと避難した話は地元では有名だ。

でも誰もそんな事を責めようともしない。

ただ、ひたすら今の状況が沈静化するのを願っているだけだ。
by mismis10 | 2011-03-31 17:45 | 東日本大震災
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