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またまた日にちが空いてしまった私のブログ。 更新を確認しに来てくださっている方には申し訳無かったです。 金環日食もスカイツリー開業も、なんとなく、よそ事のように過ぎて行った。 なんだか上手く表現出来ないのだが、何をみても何をやってもどうも面白く無い。 まぁ世の中面白い事ばかりで無いのはこの歳だから分っている。 でも、震災以来、誰も取らないままの山菜や木々の芽吹く自然を見ても、歩いている子供を見ても、スーパーの食材を見ても、何だか良く分らないけどとにかく面白く無い。 なんだろう、この感じって。 世の中は、まるであの原発の事なんて忘れてしまったかのような感じもする。 ちょっと前には、暴力団関係者が、原発で働いていた労働者の人の給料をピンハネしていたという話が報道されていた。今頃騒いでいるけど、随分前からそういう話は聞いていた。 何を今さらという気分だ。 とても大切な仕事をしているのに作業員の人達が格別な待遇を受けているなんて聞いた事も無い。 しかも線量が限界でベテランがどんどんいなくなって、下請けの下請けがと進んで、噂では20くらいの数になるのだとか。もはや素人が工事しているとかの噂も。 やっと今夜あたり、古館さんの番組が関連報道を取り上げていた。 なんだか本当に嫌になってしまう。 で、こうも嫌な気分を解消するには、やはり旅だろう。 そんな訳で、明日から台湾に行って来ます。 暑いという情報をもらって、着る服を用意していたら、なんだか明日からず~っと雨という天気予報。残念。 旦那も私も、晴れ男、晴れ女なんだけどなぁ。 こうなりゃ念力でも何でも良いお天気になって欲しいところだ。 では、また。 新緑の季節。 いつものように、近道の田舎道の農道を走りながら実家に向かう。 田舎道とて侮れない。 ややもすると高速道路よりも立派なアスファルト舗装の道路が多い。 先日(避難区域以外の)無料通行が終わった高速を走ったら、震災の後の補修が終わったばかりで応急なのか、何だか走り憎い道路の場所もあった。 しかも、しばらく無料だったのが有料になると結構な金額を払うのでちょっとガッカリした。 まぁ一時期の混雑も無くなり空いて来たのは有りがたいけど、無料に慣れてしまうと、どうしても「取られる」ような意識が芽生える。 話戻って今の季節、そんな農道を走ってると茶色の毛虫がモゾモゾと横断している。道路脇の林とかから出て来て反対側の木々にでも行こうとするのか、横断中に出くわす。 たぶん、都会の人や町中を走っている人は知らないだろうが、この季節、横断毛虫はかなり居るのだ。 その毛虫の横断を見てると、道路を無事に渡り切れる虫は一体どのくらいいるのかと、その人生というか、虫の一生を考える。 道路なんか渡らなければ、危ない目に遭う事もなかろうに。 毛虫にとっては、道路もただの地面だろうが、これが草や木の生える中だったら安全なのに。文明が進んだ故の毛虫の災難だろうな。 飛躍し過ぎだけれど、人間をこの毛虫に例えてしまう。文学的な事は浮かばないけど、自分達人間と虫を例えてしまうのは、とても当たり前な気持ちだと思う。 震災前は、自然の豊かさを感じる季節だったけど、そういう風には思えない2度目の季節が来た。運転しながら軽快な音楽をかけてみても、新緑の眩しい木々の葉を見ても、なんだか落ち付かない。 危ない目に遭うのに横断をやめない。 それは毛虫はその道路が危険だとは知らないから。 危ない目に遭うのに、人間は無理に事を進める。 道路では無く原発の危険性をちゃんと知ってるのに。 そんな事を考えた。 連休中に、親しくしていた友人が亡くなった。 突然、訃報の電話が彼女の長女からかかって来た。 頭が真っ白になった。嘘かと思った。 家も近所なので、走って彼女の家を訪ねた。 友人は、まるで寝ているかのように静かに横たわっていた。 その姿を見ても、他界したとは信じられなかった。 起き上がってきそうだった。 二人の娘達は「おばちゃん、私達がお化粧してあげたの」「病気の事、教えてあげれなくてごめんね」と口々に話した。 同世代の母親の死はショックだった。 お互いの子供達が小さい頃からのお付き合いだった。 数年前、私が母の介護生活に入って自宅を留守にするようになった同じ頃に、彼女は自身の癌の手術をしたのだそうだが、その事すら知らなかった。 それ以前には毎日のように会っていたが、母の看護で忙しい時期と重なり、私が自宅に居ないので会う事も出来ないまま時間が過ぎていた。 たまにメールや電話をしたが、会って何かを食べに行こうと誘うと、今にして思えば、やんわりと断っていた。私は彼女がそういう身体とはまったく知らなかったので、忙しいのだろうとばかり思っていた。 手術後、癌を克服すべく頑張っていたのだそうだが、昨年の暮れあたりから体調を崩していたのだそうだ。 本人の意思で、癌の手術をした事は家族以外、誰にも知らせなかったという。 自分の母親にも「教え無いで」と言われて家族は大変だったらしい。具合が悪くなってからは、娘さんが彼女へ来たメールを代行して返信していたと聞いて驚いた。 昨年の暮れに、ばったり会った時に「時間ある?」と聞いたら「これから予定があるの」と答えた。 「もうその頃には、ほとんど食事が出来ない状態だった」と、ご主人が話していた。 元々、痩せた人だったので、やつれた様子は感じられず、忙しいんだなと立ち話だけで別れた。たぶん、一緒に何かを食べに行ったら、気付かれてしまうと感じたのかもしれない。 亡くなった前の夜もフッと思い出して、そういえば彼女と会って無いなぁ、明日あたりランチかお茶でもどうかなと誘うつもりだった。 そういう虫の知らせと言うのが実際にあるのかどうか分らないけど、夜中に確かに突然、彼女の顔が浮かんだのは事実だった。 もう会えないと思うと悲しくて残念で仕方無い。 今は告知が普通らしいのだが、実際自分がそういう病気になった時、どうしたら良いのかも少し考えてみたが、答えを出すのは難しい。 心からご冥福を祈ろうと思う。 皆さん、あまりブログの話題にしないけど、ちょっとお金の話を少々。 東電からの賠償金の8万円をもらった。 18歳未満の子供と妊婦は40万円、避難した人はプラス20万の60万円で、その他の人は8万円。 “その他”に該当する私は、申請請求した後、大体1週間ほどで振り込まれた。 早い人達はかなり前にもらったようだが私はつい先日の出来事。 しかしなぁ、この賠償金。 「これから先は、何があっても、もう賠償はしたからな」っていう感じの念書じみた話だ。 しかも、まるで馬鹿にしているとしか思えない金額の8万円。 これだけ生活を脅かされ、健康がどうなるのかも不明なこの状況に対して8万円で何をすれば良いのだろうか。もらえるだけ有り難いと思えとか言う人もいるが、この放射能被害の代償としてはあまりな気がする。 実際、月々10万円の賠償金額を支給されている非難区域からの人からみても、たった1回のこれだけかいという印象を受けてる人は周りに多い。ただ声に出して言わないだけだ。 放射能の数値が高くても、そんな事が賠償に反映される事も無く、ただ既成事実として「お金をやった」という感じがする。 もっと違う形での賠償は出来なかったのだろうか。 聞いた話では、中には、こんな形で賠償したと東電に思わせたく無いと請求しないという人もいるのだそうだ。私はそこまでの根性が無いので、8万円はいただいた。 でも、なんか違う気がして仕方無い。 ここの所、実家に行く用事の他に、自分の事で眼科や歯科とか病院等に行く事が増えて、待合室で待たされる間、賠償金の話があちこちでされていた。 不思議な事に会話する時に出て来るのは「賠償金」っていうネーミングでは無い。 大体の人は「東電からのお金」とか、その他の扱いの人達は、ずばり「8万円」とか言う。 先日は病院で待ってる間、目の前を3人の子供を連れて歩いている母親が通ったら 「子供だけで180万だね」と全然知らない中年のオバさんが私に話しかけて来た。 明かに、私の方を見て話しをするので焦った。 そのオバさん、避難して来ている仮設住宅の人の毎月の支給額についてもやたらと詳しく、支給されるのはお米とか味噌や醤油もだと、追加情報を教えてくれた。 「だからお肉とか魚さえ買えば困らないのよ」と言う。 どうしてそんなに詳しいのか不思議だったが、とにかく一方的に色々と語ってくれる。 しまいには「仮設住宅に住んでる人達は裕福なんだ」とまで言い出す始末だった。 でも、そう言った後で「でも住む所が無くなったんだから気の毒よねぇ」とも言う。 同じ福島市内でも、避難して来た人と前から住んでる人との温度差はいろんな場所でけっこう感じる時がある。 「絆」って言葉が嫌いだと言う人も多い。東北の被災地の中でも放射能があるだけで差別されて、賠償金でも差をつけられて、日本の中でも福島の中でも「絆」なんかズタズタになっている。 避難して来ている人は確かに大変だと思う一方、自分達は、何だかついてないと思ってる人が多い。 知らないオバさんの話を聞いていて、そんな事を感じた。 いやはや、話が止まらない感じの所で、タイミング良く名前を呼ばれて、ホッとしてその場を離れた。 普段でも、知らない人に話しかけられる事が多い私だが、つい先日は、スーパーの買い物中に、バラ売りの胡瓜を前に、全然まったく知らないオバさんから“正しい胡瓜の見分け方”をレクチャーされた。 熱心に語ってくれたので最後は「はぁ、ありがとうございます」とお礼を言ったりした。 良く分らないけど、それが礼儀かと思ったので。 まぁ、福島もパチンコ屋さんと飲み屋さんが結構繁盛しているらしい。 それと車を買い代える若い世代の家族が増えてるのだそうだ。 私の場合、せいぜい胡瓜の良いヤツを買うくらいしか無いのか。 # by mismis10 | 2012-04-27 23:33
数ヶ月前の事だが、すっかり書くのを忘れていた事。
うちの電気釜が壊れた。 量販店の電気屋さんに行って、ずらぁーと並んでいる製品を前にしばらく見ていたら、今の電気釜って色々あって驚いた。ピンからキリまであって、高いものは10万円近くのお釜もあったが、うちには関係無いやと思い見向きもしなかった。 で、フラフラ見てたら、若い店員さんが寄って来て、やおら説明をし出した。 何でもお勧めは、大小の圧力ボールがフタに付いたタイプの釜で、炊き上がりがまるで土鍋で炊いたご飯のように仕上がる釜だという。その他にも色々と説明してくれたのだが、圧力ボールが2つ付いてるのはこのメーカーのこのタイプだけだと言われたのを覚えている。 確かに土鍋で米を炊くのは理想だが、どうしたってそれは私には無理だ。 そういう生活にも憧れる所だが、やはり実生活では電気釜だろう。 その若い店員さんの家でも、メーカーから2週間の貸し出し期間があって、実際に使ってみたと言う。このお釜業界では、そういうメーカー側の努力もあるのかと妙に感心しながら話を聞いた。 「米のひとつぶひとつぶが全然違うんです」とおにーさん、やたらに力が入る。 私は釜によってそんなに違うものかとも思ったが、結局熱意に負けて、それを買う事にした。でも実際炊いてみたら、確かに米のつぶが、もっちりした感じに炊けて美味しい。 ある時、そんな話を友人らに話していたら 『炊飯器に一体いくらかけれるか』の話題になった。 一人の友人は「お釜に2万円以上かけるのはどうも考えちゃう」と言う。 私もどちらかというとそれに近い。 4万円くらいの今回のお釜の購入にはけっこう躊躇した。 ところが別の友人は「うちの釜、10万円くらいしたよ」というではないか。 これには、正直驚いた。 でも電化製品は常に最新の品をそろえる人なので、まぁ不思議でも無い。 しかしながら、電気屋さんで“こんなに高い電気釜を一体誰が買うんだ”と思ってスルーしたお釜を実際買っていた人がこんなに近くにいたとは。そっちのほうが驚きだった。 私って、しょうも無いもんにはお金を出すくせに毎日の基本のモノにはお金をかけて無いと反省もした。 ただ美味しく炊けるのは良いのだが、釜の色がインパクトが有り過ぎなのが難点なのだ。 真っ黒い釜がデンとあって存在感たっぷり。 どうもそれが気になって仕方無かった。 ただ少し前から、この釜にいろんな布をかぶせる技を思いついた。 (技ってほどでも無いけど。) ![]() ![]() 最近では購入したばかりのALDINのツバメのトルションでカバーしてみたら、あらら、良いでは無いか。 トルションって、おそらく日本語に直せば布巾なんだろうが、うちのお茶碗とか拭くのも何だし、いろんな可愛い柄があっても、どうも上手く使いこなせない。 これが目下、ベストな使い方かも。 とりあえずツバメが日本を飛び立つ季節まではこれでカバー。 粋な使い方では無いかと自画自賛。 今日の夕方もツバメが低く飛んでいた。 明日はもしかしたら雨がふるのだろうか。
今日、ブログを読んでくれている友人に「実家の片付けは終わったの?」と聞かれた。
そうだった。 その後の事を書かないままでいた。 私もよくブログで、その後の事が気になる文を読む時があるが、意外に書いてる人はその後をびゅーんと飛ばしてる時がある。気になるが、聞くほどの間柄でもない。 そういう配慮が欠けていた。失礼。 結論を先に言うと「終わっていない。」 「3月には家の中を片付けるように」とのお達しだったが、工事の予定が大幅に遅れていて、うちの実家の順番がまだ来ないのだ。 震災後、すでに一年を過ぎているのに、まだまだそうした家の解体が終わっていないのだ。あちこちに、解体後の空き地やそうした家が有って、まるで歯が欠けたような町並みの通りもある。 3月の終わりには間に合うようにと雪降る中も必死にやった作業だったが、こうした話が出たらあの死に物狂いの連日の作業は一体何だったろう。 それならそれと言ってよ、という感じだ。はぁ~。 そんな訳で、ほとんどの荷物は運び出しが終わったのだが、油断していたらなんとまだ荷物が出て来たので、未だにその作業は続いている。 どんだけ荷物をため込んでいたんだろう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ そうした中、実家に行かない日は、仲良しの友人達とお出かけしたりもした。 先日は、連日の力仕事とはまったく違ってnami先生のステンドガラスのワークショップに出かけた。 宮城県大崎市古川で羊毛教室(期間限定)をされているikumiさんの自宅に伺ってのレッスンだった。彼女は羊毛だけでなく、多彩な才能で色々な作品を作っているファンの多い作家さんだ。 自宅の中はアンティークで統一されて、タイムスリップしたようなインテリアや小物がいたる場所にあり、それはそれは素敵な空間だった。 こうした環境で次々と作り出されるのが、あの繊細な作品なんだなぁと、しばしウットリさせていただく。 【bloom】 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ワレ物だから、最後にバックに入れようとしたのがアダになった。 てか、歳とったのね。たぶん。 と、なんでもカンでも歳のせいにする私。 例の年代モノの梅酒。 飲めるのか否か。 酒屋の若奥さんをしている友人に聞いたら、 漬けた梅の実をを取り出した後で、一升瓶とかのガラスのビンに入っている状態とかで、それが透明に澄んでいるような液体であれば飲めるとの事。 実が入ってる場合は雑菌があるかもしれないのだそうだ。 更によく見たら、焼酎だけでなく、ブランデーで漬けたモノも出て来たので、それを話たら、 「ブランデーなんてマッたりとしていい感じになってるかもよ。飲んでみたら」と言われた。 しかし、まだ飲んでみてない。 そのうちトライしてみます。 白アリ防除の作業をしてもらった。 「この時期、除染作業なら分るが、何故に白アリ?」と友人にも言われた。 私も、好んでしてもらった作業では無い。 成り行き上、そうなった。 事の発端は、私が留守の時、訪問して来た業者に夫が調査をOKしたのだ。 これまでにも、そういう業者が訪ねて来ても、私は調査してもらう事はしなかった。 普段そういう事に慣れて無い人は、こういう時、嫌と言えない。 それどころか夫の場合、 「無料で検査してくれるなんていい機会だ」と、とても良い事をしたとばかりに私に話す。 「その調査の日は家に待機していろ」と言う。 やれやれ。 例の実家の片づけ作業の真っ只中で、クタクタの帰宅をしてから、そうした話を聞かされた私は、心の中で多少ムカッとする。 なんでだよー。この忙しい時に何でそんな約束するんだよー。あぁ面倒臭っ。 そう思いながら、調査の日を迎える。 調査に来た業者の人はキッチンの狭い床下収納庫の場所から、スルスルと床に入って行く。まるでマジックだ。こりゃ太ってる人は出来ない仕事かもと思った。 調査の結果、白アリさんは発見されなかった。 ただ「蟻道」が見つかったので、防除をした方が良いとの事。 しかし、今、この作業をするべきかどうか少し悩む。 築20年を越えた自宅は、いろんな意味でメンテナンスが必要な時期に入っている。 何事もなければ、改築とかも考えられる時期だった。 しかし、震災が起きて放射能がばら撒かれた事で、何もかもどうでも良くなってしまった感がある。地震だけならまだしも、放射能という見えない相手を前に、人生の予定がかなり狂ってしまった。 それでなくても、あの地震で、家のあちこちの壁とかにもヒビが入っている。 屋根も放射能の事を考えたら、すっかりすべてを代えないと駄目らしい。 そういう事を考えたら、私は、やはり床の事は後でも良い様な気がした。 しかし、夫はやってもらうと決めたようだ。 しかもセカンドオピニオンみたいに、他の業者にも床下を調査してもらうと言う。 この辺が普通の人とちょっと違う。 私だったら、そういう事って出来ないような気がする。 結局、二つの業者に判断してもらい、どちらも同じ結果だったので価格の安い方に頼む事にした。最初の業者に断るの悪くないかと聞くと「そういうものだ」とあっさり言う。 そんな訳で作業当日の今日は、二人の若いおにーさんが来た。 やはりスリムで小柄な二人だった。 お互い声をかけながら、床下で何やら作業をしている。 その真上に私がいる状態なので変な気がした。 年中、床の下に入っての仕事って大変だなと思った。 しかも今回の事で、めったに開けない床下収納庫の整理をする羽目にあい、新たな発見もあった。 床下から出て来た自分で作った「梅酒」の瓶。 昭和61年度製とのラベルが貼ってある。 26年前に作ったのか。 コレって飲めるんだろうか。 ワインならねかせるって話は聞くけど。梅酒は聞いた事が無い。 誰かご存知なら教えて下さい。 震災後、久しぶりに会った友人達との会話。 複数の人達が集まると、それぞれの震災の時の事を話すので、とても時間がかかる。 あの時、どういう状況で居たかを聞き出すと、皆、話が止まらない。 それぞれが大変な目に遭った話が続く。 友人の一人は、震災後、3週間、マンションの12階まで、昇り降りに階段を使う生活を強いられたそうだ。 水をもらいに行くだけで散々な思いをしたという。 また別の友人は、爆発の後も、ガソリンが無いので毎日の通勤は自転車だったという。 当時の福島市内の環境放射能の値は、確か24マイクロシーベルト。 局地的には、もっと高かったかもしれない。 そして話が終わった後では、一様に今の福島では、皆、半ば諦めながら日常を送っている感じだという事を話す。 こうして居て本当に大丈夫なんだろうかと。 そう思いながら過ごしていると。 今の福島市内の発表されている放射能の値は、原発が爆発する前の原子炉建屋内の値くらいなんだそうだ。それだけの中に、いくら歳だとはいえ、あと何十年も住んでて何も影響が出ないのだろうか。 今日は、福島県の公立の小学校、中学校の入学式だった。 当たり前だが、新入学児童は、かなり減ったという。 そんな中、ランドセルを背負った子供を見かけた。 通常なら「可愛い」とだけ感じるのだが、震災以降、どうしてもそれだけの言葉だけでは足りない。この時期においても、このあたりに住んでる小学生の姿は、言い方が適切で無いかもしれないが、どうしても「可愛そう」と思えて仕方無い。 いたって静かに普通の日常生活をしながらも、普通で無い気がする。 ブログをすっかりご無沙汰してしまった。 本日3月31日になるまで、ひたすら古い家の膨大な物を処分する日々だった。 何度も言って申し訳無いけど、本当に凄い量を捨てた。 自分達ではどうしようも無い家具はまだあるが、とにかく捨てられる物はかなり捨てた。 おかげさまで、連日筋肉痛との戦いだった。 その作業をしているうちに、私の自宅にある自己満足の古い品は、もしもの時はどうなるのだろうと考えた。 このまま残して置いても興味の無い子供達に迷惑がかかるかもしれないと、そう思った。 しかしながら、今のところまだ潔く処分する勇気は無いが、やはりこの辺で見切りをつけるのが妥当かなと。 自分の身の丈にあった本当に欲しい物だけを手元に置くよう努力しようと。 また今回の作業で、弟の親のモノへ対する執着心の無さにもけっこう驚いた。 女と違って男は、モノへのこだわりとかが無いのか、バンバン捨てる。 たぶん性格的なものだろうけど、使えそうな物や昔の思い出の品も残さず捨てる。 これだけは欲しいという数少ない品以外は、惜しげ無く捨てていた。 私は、いくつかの品を取って置いた。ただその中で、大昔、父が東南アジアの何処かの国のお土産で買って来た亀が、今回、問題になった。 ホコリだらけだけど、甲羅を磨くと綺麗になるらしい亀さん。結構大きい。 ![]() 動物好きの弟がとって置くものとばかり思っていたのに、「捨てる」と言うので驚いた。 父がトランクに入れて大事そうに持ち帰ったのを何十年も昔の事なのに覚えていた。 変なモンを買って来たとは思ったが、大真面目に抱えて来たので、悪くも言えなかった。 だから、当然それを新築のほうの家に飾るかなと思いきや「いらない」と言う。 もう何かの保護対象になっていて、こういう亀は日本に観光客が持って来れないはずだ。 ネットで調べたら高額で取引されていた。 べっ甲細工ならどのくらい出来るかなと不謹慎な事も頭をかすめた。 そういう品なんだからと言ってみたが、弟はガンとして「いらない」と言う。 「父がせっかく買って来たのだから」と言うと「じゃ、持って行ってよ」と言われた。 何だか段々と話がそうなって、結局、亀はうちに来る事になってしまった。 亀かぁ。 まぁ縁起の良いモンだと思うけど、こういうのまで引き受けてしまうって、作業中に誓った思いとは真逆の行為だ。参ったなぁ。趣味の物でも無いし。 しかし意外な事に、この引き取る亀の話、兎年の夫は「嫌だ」と言わなかった。 私の古い物は「捨てろ、捨てろ」とうるさいのに。 兎と亀の不思議なお話。
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