お昼はカンボジアなのに、タイ料理のレストランに案内された。まぁそういう事は全然気にならない。 店内に案内されて、ベンチ式になってる椅子に奥のほうに向かって横から座ろうとしたら、そのベンチ式長椅子が妙に軽くて、つかんだ背もたれが後ろに傾いた。 そしたらテーブルごとに立って待機していたウェトレスの若いおねーさんに凄くウケちゃって、笑ってはいけないのに、こみ上げて来る笑いを、顔を真っ赤にしてコラえている風だった。その顔がまた可愛かった。
スタンバイして待っていたさっきのウェイトレスのおねーさんがどんどん具を入れてくれるのだが、なんかよく分からないけど、おでんの具みたいな練り物と鶏肉と野菜の混ざった鍋だった。 味は日本人向けにしてある感じだったが、これは一体何鍋というんだろうと考えながら食べた。でも美味しかった。 そこから例によって旅行会社とタイアップしているお土産物さんに寄り、一旦ホテルに戻り帰りの支度をした。小休憩する時間もあって最終的な集合時間になりトランクに荷物をまとめホテルのロビーに集合してバスに乗り込む。
私が欲しかったスパイスを潰す道具は、お土産物屋さんでは無く向こうの金物屋さんみたいな店でやっと見つけた。 ヤシの木で作られたそれは定価だったが、同じ素材のレンゲと一緒に即買いした。あとは特に何も買わなかった。あまり欲しいというモノが無かったというべきか。 夫に至っては、確か今回の旅では、仕事場への土産物以外は自分の物はベトナムで買った水牛の「靴ベラ」のみだった(笑) 集合場所で皆が集まるまで待ってる時に、カンボジアでずっと一緒だったパレットさんの「ガイド」だというのが一目で分かる国の制服とエンブレムを写真に撮らせてもらった。(本人の了承を得てます。)
まず驚いたのが、お寺へのお参りの仕方だった。 「誰か買ってみる人は居ませんか?」とガイドさんに言われて、我らのメンバーの一人が小鳥を買って空に飛ばした。 カンボジアの人達は、こうした仏時にはお金をかけるのかもしれない。皆さん、とても信心深いのだった。 寺に入る前に靴の番人みたいな男の人が居て、入って出て来るとその人に靴の守り代みたいにお金を払う。仁王立ちで棒を持っていた。 こういう現地に行かないと分からない様な小さな事に感心した。 その後、ラッキーモールとかいうスーパーにも寄った。 日本で言えば、ダイエーやイトーヨーカドーとかイオンみたいな感じ。 店内をぶらぶら歩いて、向こうのヤシの実みたいな果物を買って飲んでみた。強烈な甘さでは無いうっすっらとした甘さの果実ジュースだった。 時間になり空港へ向かう。 そうしてアンコールワット遺跡類を堪能した観光客でごった返す空港内で並んで手続きをして、機上の人となり、そこから約1時間少し飛んでホーチミンへ向かった。 乗り継ぎをして、5時間強のフライトで朝の7時45分着の成田へと帰って来た。 成田では思いのほか直ぐにトランクが出て来た。いつも待たされる事に慣れたので妙に驚いた。当たり前みたいに思うけど、やはり日本は素晴らしい国だと痛感する。
次の日が仕事だったので、成田から即、福島へと帰って来た。
今回の旅は、風邪ひいてた中の出発だったので、最初はどうなるかと思ったが暖かい国に着いたら、すっかり回復してしまった。 知らない場所を訪れるって本当に面白い。ツアー旅行を見下す人もいるけど私は全然そう思わない。言葉が堪能ならまだしも、そういう訳じゃ無い年配者が知らない国を訪れるにはツアーは最適だと思う。 何度かツアーで行ってお気に入りの国とかが出来れば、また行けば良いし。まぁそれも年齢的にだんだん限られて来るのかもしれないけど。今回、同じツアーでは70代の方達もたくさんご一緒したので自分達もまだまだイケるなと希望が持てた。
当分は海外は行く予定は無いのですが、また何処かに行ったら書こうと思ってます。 最後までお付き合いありがとうございました。 ~完~ #
by mismis10
| 2018-04-07 21:29
| 2018・ベトナム・カンボジア
シェムリアップ市内から往復2時間かかる場所にあるベンメリア遺跡は、まだすべてが解明されて無い遺跡だそうだ。 そこは手付かずのジャングルの森の奥深くにひっそりと残っている感じの遺跡だった。 私はツアーで訪れた中ではこの遺跡が一番良かった。木漏れ日の当たる遺跡の感じが、長い年月「そっとここに居ましたよ」と小さく訴えてる感じがした。
ガイドのパレットさんは、まだ10歳ほどの時、地雷を踏みそうになったという話を詳しく歩きながらしてくれた。 まだ戦争の傷跡が残る中、遺跡による急速な発展とそれを糧にして生活が成り立っている環境がカンボジアの姿だった。 すぐそこに地雷がある暮らしって何だろう。 この遺跡は希望者だけのオプションだったが、前日までの遺跡と違って、訪れてる人数も少なくてゆっくり見て回れた。 高い場所から全体を見回すと、崩れた遺跡に苔が生えているのが良く分かった。 変わった形のゴミ箱があった。タイヤみたいなゴム製っぽい素材で出来ていた。 遺跡に彫られてるデバター(女神像)も皆、温和な顔立ちをしていた。
不思議な事に40代から50代前半までは老後は遠く感じたのだが、50代後半になり、もう60になろうとしている今では70代の気持ちがとても理解出来る。 こうして人間は歳をとって行くんだなと思ったが、12世紀あたりからずっとこうして建ってる遺跡を前にすると、人間の寿命、長くても100年なんて大した事が無いような気がして来た。
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by mismis10
| 2018-03-14 23:22
| 2018・ベトナム・カンボジア
カンボジア最後の日。 私達グループ6人と数名のツアーメンバーはオプションで頼んだベンメリア遺跡へと向かう。 ベンメリア遺跡は、アンコールワット遺跡よりも前か同時期辺りに建てられたらしい遺跡だという。 例の昭和の感じのするバスで走る。 私の中でカンボジアのイメージは行く前と後では違った。 シェムリアップ市内は世界中から集まる観光客のためにシェラトンやパークハイアットなどの有名な高級ホテルが沢山立っていた。大都会である。私達のようなツアーばかりでなく、個人でも沢山の人達が世界中からやって来る。こうした人達が落とすお金で経済が回っているのだ。
観光地に行った時、こうした普段の生活をかいま見るのが大好きだ。
途中の市場があるような繁華街みたいな通りでは、ぶつ切りの肉がぶら下がったまま売ってる店も有った。 ガイドさんが言うには、皆、貧しいので、子供達は家の焚き木の為に木々を取りに行ったり、キノコなども採ってくるのだそうだ。家族でアジぐらいの大きさの川魚を皆でつついたりして、肉はそれほど食べる訳では無いという。 そんな話から次第に自分の少年時代の話になった。通りに面した小学校が自分の出た学校だと教えてくれた。 お母さんは現在も存命で、この近くに住んで農業をしているという。 シェムリアップに住む彼は時々訪ねると言ってた。 その母親はポルポト政権時代に、すんでのところで殺されそうになった話などを話してくれた。カンボジアの3分の2の人達が殺された事からすると、今生き残ってるお年寄りは壮絶な体験をしているのだろう。 発展途上の国で、都会の街はどんどん近代化されているが、ほとんどの人達はこうした農業で身を立てている。 彼は「子供達に教育をさせないのが一番いけない」と力説していた。 学校も少なく、まるで国家の権力者が国民が賢くなるのを阻止しているかのようだと。 そして教育の場の先生の待遇もとても悪く、もらった給料では妻子を養えないので、副業として教室にお菓子やノートなのど文房具などの商品を並べて売っているのだそうだ。
帰国してしばらくして、そういう現政権の事を調べてみたら、彼が言ってる事が真実だったと思える記事がたくさんあった。 彼は話の最後に「こんな状況を変えるには私がそのうち政治家になるので応援してくださいね」なんて冗談を言っていたけど、案外本気でしゃべっていたのかも知れない。 #
by mismis10
| 2018-03-11 09:53
| 2018・ベトナム・カンボジア
夜はシェムリアップ市内の大きなレストランで宮廷舞踊を見ながら、アジアン料理のビュッフェスタイルの夕食だった。入り口には、やはりお決まりのお供え物の飾りがあった。Amazonの名前が出てるということは、そういう系のレストランなのだろう。 何千人も収容出来そうな感じで、写真は撮らなかったが、周りにはビッフェ形式に自分が取りたい料理が並んでた。
レストラン内はとても広くて舞台までが遠く動画や画像が上手く撮れなかった。 今回も動画や画像はすべてiPhoneだったので仕方ない。iPhoneは近くの物を映すには良いが遠くは無理がある。 ガイドさんの話では、この舞台で踊っている人達は小さい時に舞踊学校に入り、厳しい修行で一流の踊り手になるのだそうだ。まず、あの指を全部思っきり外側にそった手の形にするために、小さい時から手の指をそらす訓練するのだそうだ。(痛そう~) 踊りを見ながら自分の手の指をそらしてみたが、まったくあの形にならなかった。当然ではあるのだが、ついそうしてしまった。 しかし、もっとも大変なのは、終始、踊りが中腰で腰をそらせている事らしい。(あー、ますます絶対に私には無理だわ。) 最後にステージで写真撮影とかの時間があって、おねーさんと撮影したい人達が上に上がるようになっていた。
~つづく~ #
by mismis10
| 2018-03-10 23:17
| 2018・ベトナム・カンボジア
一方、私はお昼寝しようとしても、どうもなかなか寝付けない。天井のレリーフの模様を眺めてみたり、部屋に飾られているモノクロの写真は女か男かなんて考えたりしていた。 行くまでは知らなかったが、シェムリアップ市内はとにかくホテルが立ち並んでいた。朝のアンコールワット遺跡でもそうだったが世界各国からの人が集まるのだから、ホテルが立ち並ぶのが納得出来る。 泊まったホテルから20分くらいでアンコールワット遺跡に着いた。
私達のガイドのパレットさんもそうだった。もし万が一迷子になったら、このガイドのシャツを着てる人に相談して、渡されたメモにある番号やガイドの名前を言うように言われた。
修復工事中の橋の前で、ナーガが装飾されている橋の欄干を見て、修復は上智大学のメンバーが行っているという説明を受けた。その顔写真入りの説明看板も立っていた。 神様って言われてもなぁ~ 朝、通った仮の浮き橋でお濠を渡る。 西塔門から入ると8本腕の「ヴィシュヌ神像」を見る。 なかなか良い顔をしていらっしゃる。高い像で見上げるようにして拝んだ。 その奥隣には、小ぶりの顔の無い像が有って、お線香を炊く人が居た。
カンボジアでは結婚式の写真などは必ずアンコールワットで撮るのだそうだ。へぇ~と驚く。ちょっと不釣り合いな感じもしたが、それだけ国民に愛されてる場所なのかも。
その後、回廊を歩き「天国と地獄の図」「乳海攪拌」などのレリーフの壁を見た後、デバダー(女神)の像が並ぶ、壁画を見る。この像は最初のうちは触って良かったので胸のあたりがテカテカになってしまったそうだ。(現在は禁止されている) 更に、「十字型中回廊」と呼ばれるアンコールワットのヘソと言われる場所へと進む。 その後、中央祠堂の前に出た。 大勢の観光客が急な階段から降りてくるのが見えた。 しかし、私達は上まで登らないと聞いてちょっとガッカリ。 帰国してから読んだ話では、見上げるような急な階段は神様の階段で、人間が昇るモノでは無いとの話。カンボジアでは遺跡の扱いが観光慣れしてしまって、お金を出せば何でもOKになってしまっているが、アレは見上げるだけにしておいたほうがバチが当たらないで済むから賢明だったのかもと納得した。
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by mismis10
| 2018-02-22 17:50
| 2018・ベトナム・カンボジア
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